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日记🐮徒然ไดอารี่

Anti-Instagram

もはやInstagramを全面的に持て囃す文言を垂れ流すのは日本だったらくだらないバラエティ番組くらいではないかと思うくらい、このソーシャルネットワークサービスは現代の風刺の題材として使われることが多くあるため、今更反Instagramだなんて言ったところで『タバコは体に悪い』くらいのインパクトしかもたない。

現代を象徴するものの一つでありながら、もう既に語られるものは語り尽くされた浅はかな代物、何もわざわざこの場で人様の食い物にも、ポートレートの見地からはナンジャコリャながら自信満々な自撮りにも、見知らぬ誰かとの見せびらかしたい楽しい日常にも興味がない、なんてことを言ったところで、きっと誰も彼もが腹の底では同じことを思っているのである。

私は「フォトジェニック」という言葉が嫌いだが、それを百歩譲ったとしても「インスタ映え」「インスタ映えする場所」という言葉には虫唾が走り無性にハリセンか何かで手当たり次第に暴力を振りたくなる衝動に駆られる。

またガタガタと切れ味の悪い言葉をつらつら並べてしまったけれども、Instagramごときが語れるような物語なんて退屈そのもので興味がなくってよ、なんてちょちょいと澄まし顔で反抗できるキュートな不良の作法が思いつかなかったのです。

 

だけど退屈が必ずしも悪い訳ではない。

退屈だろうと、語り尽くされたことだろうと、もう誰かが踏み倒したライムだろうと、お前の声とリリックで聞かせてくれということが辞められなくて私はInstagramから去ることができない。

無職コピー

先日ひとり酒をしていたら無職のコピーを思い付いたので、メモ。

 

①ルミネ広告風

「無職は無色、私は何にも染まらない」

 

②英語CM風

「I usued to be proud of myself to be a part of the society. Now, I AM THE SOCIETY.」

(かつては社会の一員であることが誇りだった。しかし今や私が社会である。)

花火大会

どちらかと言えばかなり好きなものの部類であった花火を、特に好きでも嫌いでもないと思ったのは初めてで、これは何かに期待を裏切られたと言うよりかは「私の知っている花火と少し違う」という違和感でした。

 

花火は関係者でもない限り、打ち上げられるまではその色も形も規模も分かりません。
しかし打ち上げられればものの数秒のうちに巨大な光の花を夜空に咲かせ、その造形を確認し次第瞬時に消えて行く、そんな繰り返しさり得ない一回性の美の代名詞のような花火を、一夏に繰り広げるなんてロマンチックであると感じていました。

 

ロマンチックだと感じられたのにはそういうある種の緊張感が含有されていたからだと思うのですが、とは言っても、花火の規模が打ち上げられるまで分からないと言ったって、プロのなす技ですから火の粉が飛来して周辺家屋が全焼するほどではないだろうし、この花火大会は開催するにあたって社会的に許可を得ていて、この開催を巡って誰かと大喧嘩になる事もないだろう。そう、この守られた安全圏での開催、これが花火の高揚感を盛り下げているのではないかと思ったのです。
(もちろん安全第一ですし、許可は得るべきなんですが。)

 

少し前の話になりますが、以前タイに住んでいた頃、浜辺で花火を打ち上げるべく市場でいくつかの大きめな打ち上げ花火を購入しました。

その浜辺は、王様の別荘が近いとのことで、花火の規模に制限がありました。当然、それに反すば不敬罪となり処罰の対象となります。

困ったのは、打ち上げてみなければその花火がどの程度の規模の花火なのか、全く分からなかったことです。自分の周りには守るべきもの(社会的信頼や家族など)を持った大人たちが固唾を飲んで、その打ち上げを待ちます。

ちなみに花火には『着火後100mは離れるように』と書いてあり、また『着火後6秒で打ち上がる』とも書いてありました。これには陸上競技会の大スター、ウサインボルト氏もビックリである。

 

そして着火後、思いの外、大きな破裂音と壮大な花火に顔面蒼白し凍りついた一同の顔が忘れられません。エネルギーを尽くして重力に逆らいながら打ち上がる火の玉なんてそもそも危ないのである、という大前提が大前提のまま、打ち上げ花火を決行することができた、というのが直近の花火の思い出ですからこんな事を思ったのでしょう。よい夏を。

 

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合法的

耳から体内に入り脳内蝕み価値観までも弄り倒すドラッグの名は音楽である、合法的なトビ方を心得よ、と歌った某氏のリリックに擬えるなら、合法的な殺し合いができるのも、澄ました顔のまま人を虐めたり罵ったりできるのもまた音楽である、と先日東京で会った某氏と同じく梅田の熱い血が流れるサックスプレーヤーの女が言っていた。

全く異論はない。